産後1ヶ月少々で体力の限界?!
相方が入院中の為、赤ちゃんの沐浴は私が担当しているのだけど、体力の限界?!なのか、腕に力が入りづらく…本日、沐浴の最中にお風呂の水をガブ飲みさせてしまった。
本当に本当に本当にごめんなさい。
数日前のブログにも書いたけど、抱っこしながら体を洗えないので、タライでお尻を洗い、ベビーバスで頭と顔と体を洗い、最後に大人用の浴槽に入って終了って感じだったんだけど…
ベビーバスで、ひっくり返して背中を石鹸で念入りに洗っていたら…
赤ちゃんの顔がベビーバスのお湯に浸かってしまい…
物凄く苦しそうに
オエッ アッ アッ カッ アッー オエーッ ウニャーーー オエーッ アー
と表現方法が難しいのでご想像におまかせしますが、とりあえず可哀想な事をしてしまい…猛烈に反省。
本当にごめんなさい。
自信を失いかけて、義母にお願いする事も考えたけど、明日から方法を変えてまた頑張ることにした。
タライでお尻を洗う前に、石鹸で背中を洗っちゃう。その次、ベビーバスで頭と顔を洗うんだけど、お湯を少なく張る。
今まで以上に気をつける。以上。
今日は悪いことしたけど、明日失敗しないで沐浴出来るか?楽しみでもある。
赤ちゃんと一緒に、私も成長してる。
だけど…
年がそこそこで、持病もあるから、体力に関しては、余り自信がない。産後1ヶ月少々だけど体中痛い。抱っこするのも、抱っこして立ち上がるのも。腕も脚も全部。痛い。食事にも気を配り、体操などもしています。無理もしないように努めてます。リラックスしたり、ストレス発散したり。色々してます。
愚痴になってしまったけど、もうひとつ
1週間くらい前にブログにも書いたけど、抱っこ紐を義母に作ってもらう作戦が裏目に出てしまった。
私としては、1日で完成すると思っていたのだけど…
お願いしてからもう1週間。
義母も毎日忙しいというか忙殺だから仕方ないけど…
こうなるのならケチらずに買った方が良かったと後悔…涙
タダより高い物は無いと言うけど、正に。
そのお陰で腕も限界…泣
お風呂デビュー
1ヶ月検診でOKが出たので…
さっそくお風呂デビューしたのですが
沐浴よりも難しい…困
と言う事で…
当分の間は、ベビーバスで顔と頭と身体を洗い、浴槽で少し温まって終了
みたいな感じでいこうと思う。
経験者ならわかると思うけど、首の座ってない赤ちゃんを膝にのせ、石鹸であらゆるくびれを器用に洗い、目などに石鹸が入らないよう上手に洗い流すのは至難の技であり…
そんなに難しく考えなくても良いのだろうけど…
乱暴な洗い方をして赤ちゃんがお風呂嫌いになってもいけないので…
今日はベビーバスと浴槽の二重使いで、のんびりとお風呂を楽しもう。
そういえば、沐浴担当するはずだった相方。
一回も沐浴やらなかったな笑
赤ちゃんがもう少し確りしてきら、いっぱいお世話してもらえば良いか…
まだまだ先は長いしね
娘の成長
生後1ヶ月。
娘の成長速度は、すこぶる速い。
産まれた時から其れなりの重量感だったけど…今はもう、それを上回る重量感。
そのおかげで全身がミシミシ言ってる。
というわけで…
抱っこ紐なんてゼッタイに必要ナイと思っていたけど…必要になってきた。
どんなのにしようか?悩んだ挙げ句、バッテン型のやつなら手作り出来そうと思い、お裁縫がプロ並の義母にお願いしてみた。
抱っこ紐の画像や使い方の動画で、だいたいどんなものかを把握してもらって、製作の了承を得た。
要らない帯とかハギレから、どんな抱っこ紐が出来るのか?今からとても楽しみ。
入院中の相方も、こういう楽しみを感じられたら、もっと幸せになれるんだろうけど…
では
おやすみなさい。
病棟からの手紙
病院に入院してから2週間?
相方からしょっちゅう手紙が来る。
最初の手紙は内容もとっちらかっていて、字も汚かったけど、、、
今日きた手紙は、まとまりがある内容だし、そこそこ字も読めた。
被害妄想が取れて、私や子供に心を配る感じ。
そんな中、
相方が手紙やハガキを持ってきてほしいと言うので、
要望に応えて…
可愛い暑中見舞いの絵はがきセットとレターセットを持って行ってもらったのだが…
ハガキを懸賞に使うのなら使うで…
最初から
それを
言えーーーーーーーーーーーーーーー怒
言ってくれたらお気に入りの絵はがきセットは持たせなかったのに涙
スミマセン笑
ストレスのはけ口がブログしかないもので…涙
少しスッキリしたところで
おやすみなさい。
立ち会い出産
去年の7月に妊娠が発覚してから、通院のたびに付き添ってもらった。
はじめは緊張していたのか?おかしな態度や言動も無かったような…。
昨年末に入院する前後も仕事関係や友達関係では被害妄想や不可解な行動などあったが、付き添いでおかしな事は無かった。
今年に入り、やはり仕事を始めてから全てに対する被害妄想と攻撃的な態度等が目立ってきた。
2月から切迫早産で1ヶ月間入院していた時も、仕事帰りに毎日の様に面会に来ては会社の愚痴をこぼしていた。
愚痴だけなら許せるが私に対する八つ当たりも半端じゃなくなっていく。
来た途端、顔見るなり怒鳴ったかと思うと謝り、持って来たものを公共のロビーにばら撒いては拾い、私のお願いしたものは何ひとつ持ってこない。
頼んでないものを持ってくる。
完全な嫌がらせ行為を1ヶ月間継続される。
嫌がらせじゃなくて八つ当たりかな?どっちでも良いけど、仕事のストレス発散を弱味の人間にたいしてするかね…と呆れるほど。
散財する様になるのもこの頃から。
退院した後はご想像通り、朝から晩まで嫌がらせ行為のオンパレード。
耐えかねて実家に里帰り…。
この辺りから症状がエスカレーター式に悪くなっていく。
親に怒鳴り散らしたり、私のところへ来て怒鳴り散らしたり、いかがわしいサイトの裸同然の女の子と毎夜毎夜話し込んだり…。
有料サイトについては産後2週間目にして気が付いたのだけど…
あんなの誰でも出来るって正直おかしな話だよね。
支払い能力の無い人とお話した場合はどうなるの?
その分も支払い能力のある人から不当に取ってるんだろうけど…。
それはさておき、立ち会い出産の話に戻ります。
切迫早産で入院してたのにも関わらず、出産予定日を超えたので予定通り誘発分娩となり、相方と共にいざ病院へ。
相方は誘発分娩室に来てまでも、「疲れた、眠い、帰る、甘えるな、お腹空いた、外食しに行こう、この病院の看護師はブスだ、俺の布団は?、早く産んでくれ」などと、誘発薬を飲み、いつ陣痛が来るかわからない嫁の前で、この様な暴言を吐きまくって歌を唄い騒ぎまくっていた。
流石の看護師さんも嫌な顔。
そして夕方の5時。
これでダメならまた明日だねと看護師さんから言われていたけど、やっとこ陣痛らしきものが来た。
女の勘で夕食を食べられないと思ったのか近くにあるおにぎりを頬張っていると宝クジを買いに行っていた相方が戻って来た。
看護師さんも来たので状況を説明。
そこからドンドン痛みの度合いが増して行く。
1時間後、痛みの度合いは激しく増し、看護師や医師もドンドン増える。
私の周りには主治医とベテラン助産師と若い看護師とが居て三者三様のアドバイスをしてくれた笑
どれもイマイチなアドバイスだった為、自分なりの絶叫いきみ逃し法を駆使して絶叫しまくっていた笑
医師から声を出さないで〜とか言われたけど無理。
苦笑いで見てるのもわかったけど叫ばないのは無理。
叫ぶ事でいきみを逃しているんだから笑
で痛みがドンドン増して行く中…あれ?
相方は?どこ?どこ?先生や看護師さん達が15名くらいいるから、どこかの陰になってるのかな?え?あれ?居なくね?逃げた?立ち会い出産希望してたのにどう言う事?
呼び戻す為に相方の名前を連呼するが…来ない。
もう死んでもいい。
痛さはマックスだし、アドバイスは三者三様だし、相方は居ないし、私が死んでも子供は何とか生き残るだろう…と思う。
くらい痛みが全開。
「先生、麻酔して切ってください」と懇願する。
私としては帝王切開にしてくれとお願いしたつもりだが。
先生は会陰切開ね、と受け取ったらしく。
4箇所、バツンッ、バツンッ、バツンッ、バツンッ、と豪快に会陰切開した瞬間にあたまがドバッと出て、もう一息みで赤ちゃんの大きな体もスルンッと豪快に出て来た。
胎盤出すのは無痛。会陰の縫合はチクッチクッチクッチクッ程度。
全てが終わり、赤ちゃんや私の清潔などお世話する人だけが残った頃、相方が何気なく顔を出す。
「ありがとう」と一言あったものの、それ以外の事が多すぎて、心に全く響かず。
それどころか本当にありがとうって思ってんの?みたいな。
産後すぐに目の前で「疲れた疲れた、眠い、帰りたい」と連呼されたら仕方ないよね。
「お疲れ様、早く帰って寝て下さい」と言うしかないよね。
思い出しながら書いたけど、ざっとこんな感じの立ち会い出産でした。
全部書いたらスッキリ。それではおやすみなさい。
妊娠・出産〜現在
妊娠・出産編
相方が無事退院したのは春先。
私は相方の主治医や病院に不信感を抱き、転院してから減薬なり断薬なりしたらどう?と話を持ちかけたが、相方はもう薬は飲まないし病院も行かないとの事。私はまた同じ事の繰り返しになりかねないし、いきなり年金がきれても困るから転院先で診断書を出してもらいながら、出来れば医師と一緒に減断薬に取り組んだ方がいいのでは?と促したが無駄だった。病院行ったら問答無用で注射されるし、注射を拒んだり薬を減らして欲しいなんて言ったらまた入院させられるかもしれないと。実際はそういう事はないと思うが。そして、通院も転院も注射も服薬も一気にやめた。どうしようもなかった。年金もきれたらその時はその時で何とかするしかないと考えた。
色々と必死に考えた結果、自営業に行き着いた。2人で出来そうな簡単な仕事の自営業。が、しかし、そう甘くはなかった。相方は何ひとつ仕事という仕事をしない。というか出来ない。薬漬けで頭がバカになったのか?薬を飲まないからバカになってるのか?自営向きじゃないのか?解らないけど…
全く仕事を…
いや家事も…
何もしない。
余計な事しかしない。
悪態しかつかない。
離婚も考えるが、私の父親に今逃げ出したら何も残らないぞと言われ思い留まる。
そして自営業のチラシ配りの最中、お腹が痛くなり妊娠発覚。
おめでたい話だが…悪阻が酷すぎて…この時の記憶は曖昧。
私の方が自営業どころか家事も出来なくなり、相方の実家にお世話になる。
その時、相方はそこそこ必死に就職活動をしていた気がする。
ただ自営の能力も無いのに、やたらと管理職とかマネージャー的な高給の仕事ばかりを選び、ことごとく落ちていた。
その後、私の調子が少し良い時にアパートに戻り相変わらず就職活動をしていたのだが、その頃から被害妄想とか意味不明な言動や行動が目立ってくる。
どうしようもなくなり私の実家に泊まったのだが、夜中に裸足でコンビニ行ったり、その辺で服脱いだりしながら帰宅する頃には完全におかしくなっていて、その後警察に呼ばれたり、保健所の人達が訪問に来たりして。その間にどんどん悪化し、裸で暴れ出し私と私の母が暴力を振るわれた為警察に通報。
そのまま入院するも案外2週間くらいで退院になり、注射も通院もするという方向で療養していたのだが…またもや気紛れで仕事の面接を受けて来てしまう。
しかも受かってしまった。
子供も産まれるし、就職も決まり良かった良かったと、喜びたい気持ちと大丈夫なのだろうか?という複雑な気持ち。
すぐにクビになっても、元々なかった仕事だし、どうって事ないと思ってたけど
案の定、会社の全員と上手くやって行くことが出来ず、仕事も出来ないので3ヶ月の試用期間でクビ。
3ヶ月も使ってもらえたことが逆に奇跡というか、社長が優しい人だったのか?本当にご迷惑おかけしましたと言いたい。
クビになる前後1ヶ月間、私は切迫早産で入院していたのですが、その間毎日の様に面会に来ては会社のグチを大声で怒鳴る様に話したり、私にキレたり、テーブルを叩いたり、お願いしたものを持ってこなかったり、お願いしてないものを持って来たり、覚えているのは体の心配を全くしてもらえなかった事。
何とか退院して自宅に帰るも…相方の暴言や嫌がらせ行為に耐えかねて実家に里帰りと言う名目で避難させてもらう。
実家には毎日の様に来ていたが、途中から来なくなる。来なくなった原因がいかがわしい有料サイトで若い女の子と話をする為だと知ったのは出産後間も無くのことである。
里帰り中は1度フライングで夜中に病院に行った時も散々文句を言われ、誘発分娩の時も同室してくれたのは良かったけれど大声で騒ぐ騒ぐ。
立ち会い出産希望で同室で頑張ってたのに分娩中に部屋からいなくなる始末。
ありがとうとだけは言ってくれたが、翌日からまたもや嫌がらせ面会が続き、看護師さんからもマークされてしまい、赤ちゃんと無事退院するも、その後2週間で警察入院コース。
理由は毎日の様に大音量でヘビメタをかけ大声で歌ったり騒いだり怒鳴ったり、ギターを弾いたり、有料サイトにお金をつぎ込んだり、ものを投げたり、暴言を吐きまくったり、罵倒したり、脅したり、私と赤ちゃんに向かって木製の重たい椅子を思いっきり投げつけて来たりと壮絶。
薬物の離脱症状だけでこんな風になるかな?と疑問になる。
この人はこういう人なのかもしれないとも思う。
実際の光景を目にした家族だから余計にワガママ病に見えてしまう。
相方の事がどうでもよくなった。
子供と自分の身を守る事だけで今は精一杯だ。
私だって、そこまで余裕のある状況ではない。
むしろ今は余裕のない産褥期である。
今回も警察様。病院様である。
統合失調症でも完治してる人達が一定数いる。ここ最近は増えていると思う。他の精神疾患だって完治する率が増えている様に思う。行き過ぎた精神医療を批判する精神科医がいるくらいだから。
相方も本当に減断薬したいのなら、成功している人達を見習ってもらいたい。やっぱりある程度病気や薬に対する知識。離脱症状に対する知識。自己反省の念なんかも無いと無理だと思う。現状に満足する気持ちや周りに感謝する気持ちもないとダメだし。何に対しても感謝出来ない。満足出来ない。全部周りのせい。そんな人が薬を抜くのは到底無理だと思った。お金が何億円あっても無理なものは無理でしょうね。
相方が精神科サバイバーになれないっぽいので、ブログのタイトルも変更しようか考え中…。
出逢い・結婚
出逢い・結婚編
私達夫婦は精神障害者の当事者支援活動や当事者支援サークルなどを一緒に取り組むうちに徐々に意気投合し、最終的にお互いの両親やら主治医や福祉関係者など周りの方達大勢に祝福されて同棲・結婚に至りました。
この頃の私は、体調不良や色々な情報を機に始めた減断薬や禁煙に成功しつつも、それらの禁断症状(離脱症状)と闘っている最中で…
彼の方はと言うと、月一の注射と朝昼晩寝る前のたくさんの飲み薬のおかげで、なんでも言う事を聞いてくれる様な超優しい人(今考えると薬で何も考えられなくなっていただけ)って感じで…
はっきり言うと…2人とも冷静な判断が出来ない状態での同棲・結婚って感じでして…もう勢いのみ。勢いって凄い笑
実際、彼の両親も私の両親も主治医も福祉関係者も、みんな心配はしてました。「お金は大丈夫なの?同棲してから結婚したら?あなた達が決めた事だから。両親の承諾は得ているの?旦那さんの方が確りしてそうだしね。薬だけは続けてね。薬は絶対やめちゃダメです。」
色々な心配を勢いで押し切って、なんとか結婚をしたと言う方が事実かも知れません。もちろん最終的にはみんな祝福してくれました…というか祝福せざるを得ない感じだったのかな?笑
そんなこんなで同棲・結婚を果たした訳ですが…私は断薬と禁煙の離脱症状と闘いながら、食材や調味料など体に入れるものを徹底的に吟味したり、運動したり温泉に行ったり、内海聡先生の本をよ読み漁ったり、オルタナティブ活動について調べたり、アロマキャンドルや音楽療法、ツボ押しや骨盤体操、断薬.com閲覧、断薬動画視聴、相方と会話する等でなんとか不快な身体症状や精神症状を緩和させ、どうにかこうにかやっていたのだけれど…ものすごい努力をして薬を抜いているのでストレスも溜まりやすく、当事者支援活動や当事者支援サークルなどにも疑問を持ち始めた頃で…でも急にサヨウナラ〜じゃ流石に大人気ないと思い、徐々にフェードアウトしよう…とか考えていた。彼も当事者支援活動には嫌気がさしていて、当事者支援サークルに関しても私から色々言われるものだから思い起こすと結構な心理的負担になっていたのかも知れない。
それと、この頃から相方も私の影響を受けてか?内海氏の本を読んでか?薬を減らす様になる。勿論壮絶な離脱症状。
そんな中、当事者支援活動の一環で出張した先で福祉関係者と大喧嘩をしてきてしまうと言う大事件を起こす。今考えると無理な減断薬で寝不足が続き激しい離脱症状に見舞われて、喧嘩と言うよりは一方的にキレてしまい取り返しがつかなくなっただけかな?とか思います。真相はわからない笑
で出張から帰ってきても躁状態又は統合失調症っぽい症状が続き、自ら福祉関係者を呼びカクカクシカジカあったが自らの意思で病院に行き、主治医に「薬物を使わない任意入院でお願いします」と言って入院する。しかし!そこの主治医「薬物を使わない代わりに電気痙攣療法を5回だけやってみるので承諾してほしい」と言い、私に保護入院と電気痙攣療法の承諾のサインをさせた。ズルイ。そしてヒドイ。結局、薬物を使いまくってヘロヘロにし、電気痙攣療法も10回やって、私が約束と違うし退院させたいと申し出ても保護入院だから〜と退院も面会も電話もダメ。入院して3週間も経つのに本人の状況も一切教えてくれず。行きているのかすら解らない状況。完全に相方の主治医に対する信頼を失う。同時に病院に対する信頼も。福祉関係者に対する信頼も。ただ安否だけを祈る毎日。
色々なところに相談の電話もしたなぁ。で4週間目に相方からの留守電を聞いて…ヘロヘロになってはいるけど生きている!と歓喜の涙を流したのを今でも忘れません笑
と今日のところはこの辺で。
次回はこの続きを思い出しながら書きます。それではお休みなさい。