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サバイバー夫婦の日常ブログ

精神科サバイバー夫婦のおもしろ奮闘記

娘の成長

生後1ヶ月。

娘の成長速度は、すこぶる速い。

産まれた時から其れなりの重量感だったけど…今はもう、それを上回る重量感。

そのおかげで全身がミシミシ言ってる。

というわけで…
抱っこ紐なんてゼッタイに必要ナイと思っていたけど…必要になってきた。

どんなのにしようか?悩んだ挙げ句、バッテン型のやつなら手作り出来そうと思い、お裁縫がプロ並の義母にお願いしてみた。

抱っこ紐の画像や使い方の動画で、だいたいどんなものかを把握してもらって、製作の了承を得た。

要らない帯とかハギレから、どんな抱っこ紐が出来るのか?今からとても楽しみ。

入院中の相方も、こういう楽しみを感じられたら、もっと幸せになれるんだろうけど…

 















では


おやすみなさい。

病棟からの手紙

病院に入院してから2週間?

 

相方からしょっちゅう手紙が来る。

 

最初の手紙は内容もとっちらかっていて、字も汚かったけど、、、

 

今日きた手紙は、まとまりがある内容だし、そこそこ字も読めた。

 

被害妄想が取れて、私や子供に心を配る感じ。

 

そんな中、

 

相方が手紙やハガキを持ってきてほしいと言うので、

 

要望に応えて…

可愛い暑中見舞いの絵はがきセットとレターセットを持って行ってもらったのだが…

 

ハガキを懸賞に使うのなら使うで…

 

最初から

 

それを

 

言えーーーーーーーーーーーーーーー怒

 

言ってくれたらお気に入りの絵はがきセットは持たせなかったのに涙

 

スミマセン笑

 

ストレスのはけ口がブログしかないもので…涙

 

少しスッキリしたところで

 

おやすみなさい。

立ち会い出産

去年の7月に妊娠が発覚してから、通院のたびに付き添ってもらった。

はじめは緊張していたのか?おかしな態度や言動も無かったような…。

昨年末に入院する前後も仕事関係や友達関係では被害妄想や不可解な行動などあったが、付き添いでおかしな事は無かった。

今年に入り、やはり仕事を始めてから全てに対する被害妄想と攻撃的な態度等が目立ってきた。

2月から切迫早産で1ヶ月間入院していた時も、仕事帰りに毎日の様に面会に来ては会社の愚痴をこぼしていた。

愚痴だけなら許せるが私に対する八つ当たりも半端じゃなくなっていく。

来た途端、顔見るなり怒鳴ったかと思うと謝り、持って来たものを公共のロビーにばら撒いては拾い、私のお願いしたものは何ひとつ持ってこない。

頼んでないものを持ってくる。

完全な嫌がらせ行為を1ヶ月間継続される。

嫌がらせじゃなくて八つ当たりかな?どっちでも良いけど、仕事のストレス発散を弱味の人間にたいしてするかね…と呆れるほど。

散財する様になるのもこの頃から。

退院した後はご想像通り、朝から晩まで嫌がらせ行為のオンパレード。

耐えかねて実家に里帰り…。

この辺りから症状がエスカレーター式に悪くなっていく。

親に怒鳴り散らしたり、私のところへ来て怒鳴り散らしたり、いかがわしいサイトの裸同然の女の子と毎夜毎夜話し込んだり…。

有料サイトについては産後2週間目にして気が付いたのだけど…

あんなの誰でも出来るって正直おかしな話だよね。

支払い能力の無い人とお話した場合はどうなるの?

その分も支払い能力のある人から不当に取ってるんだろうけど…。

それはさておき、立ち会い出産の話に戻ります。

切迫早産で入院してたのにも関わらず、出産予定日を超えたので予定通り誘発分娩となり、相方と共にいざ病院へ。

相方は誘発分娩室に来てまでも、「疲れた、眠い、帰る、甘えるな、お腹空いた、外食しに行こう、この病院の看護師はブスだ、俺の布団は?、早く産んでくれ」などと、誘発薬を飲み、いつ陣痛が来るかわからない嫁の前で、この様な暴言を吐きまくって歌を唄い騒ぎまくっていた。

流石の看護師さんも嫌な顔。

そして夕方の5時。

これでダメならまた明日だねと看護師さんから言われていたけど、やっとこ陣痛らしきものが来た。

女の勘で夕食を食べられないと思ったのか近くにあるおにぎりを頬張っていると宝クジを買いに行っていた相方が戻って来た。

看護師さんも来たので状況を説明。

そこからドンドン痛みの度合いが増して行く。

1時間後、痛みの度合いは激しく増し、看護師や医師もドンドン増える。

私の周りには主治医とベテラン助産師と若い看護師とが居て三者三様のアドバイスをしてくれた笑  

どれもイマイチなアドバイスだった為、自分なりの絶叫いきみ逃し法を駆使して絶叫しまくっていた笑  

医師から声を出さないで〜とか言われたけど無理。

苦笑いで見てるのもわかったけど叫ばないのは無理。

叫ぶ事でいきみを逃しているんだから笑  

で痛みがドンドン増して行く中…あれ?

相方は?どこ?どこ?先生や看護師さん達が15名くらいいるから、どこかの陰になってるのかな?え?あれ?居なくね?逃げた?立ち会い出産希望してたのにどう言う事?

呼び戻す為に相方の名前を連呼するが…来ない。

先生や助産師さんは三者三様のアドバイスを続ける笑

 もう死んでもいい。

痛さはマックスだし、アドバイスは三者三様だし、相方は居ないし、私が死んでも子供は何とか生き残るだろう…と思う。

くらい痛みが全開。

「先生、麻酔して切ってください」と懇願する。

私としては帝王切開にしてくれとお願いしたつもりだが。

先生は会陰切開ね、と受け取ったらしく。

4箇所、バツンッ、バツンッ、バツンッ、バツンッ、と豪快に会陰切開した瞬間にあたまがドバッと出て、もう一息みで赤ちゃんの大きな体もスルンッと豪快に出て来た。

胎盤出すのは無痛。会陰の縫合はチクッチクッチクッチクッ程度。

全てが終わり、赤ちゃんや私の清潔などお世話する人だけが残った頃、相方が何気なく顔を出す。

「ありがとう」と一言あったものの、それ以外の事が多すぎて、心に全く響かず。

それどころか本当にありがとうって思ってんの?みたいな。

産後すぐに目の前で「疲れた疲れた、眠い、帰りたい」と連呼されたら仕方ないよね。

「お疲れ様、早く帰って寝て下さい」と言うしかないよね。

 

 

思い出しながら書いたけど、ざっとこんな感じの立ち会い出産でした。

 

 

全部書いたらスッキリ。それではおやすみなさい。

 

妊娠・出産〜現在

妊娠・出産編

 

相方が無事退院したのは春先。

私は相方の主治医や病院に不信感を抱き、転院してから減薬なり断薬なりしたらどう?と話を持ちかけたが、相方はもう薬は飲まないし病院も行かないとの事。私はまた同じ事の繰り返しになりかねないし、いきなり年金がきれても困るから転院先で診断書を出してもらいながら、出来れば医師と一緒に減断薬に取り組んだ方がいいのでは?と促したが無駄だった。病院行ったら問答無用で注射されるし、注射を拒んだり薬を減らして欲しいなんて言ったらまた入院させられるかもしれないと。実際はそういう事はないと思うが。そして、通院も転院も注射も服薬も一気にやめた。どうしようもなかった。年金もきれたらその時はその時で何とかするしかないと考えた。

 

色々と必死に考えた結果、自営業に行き着いた。2人で出来そうな簡単な仕事の自営業。が、しかし、そう甘くはなかった。相方は何ひとつ仕事という仕事をしない。というか出来ない。薬漬けで頭がバカになったのか?薬を飲まないからバカになってるのか?自営向きじゃないのか?解らないけど…

全く仕事を…

いや家事も…

何もしない。

余計な事しかしない。

悪態しかつかない。

離婚も考えるが、私の父親に今逃げ出したら何も残らないぞと言われ思い留まる。

そして自営業のチラシ配りの最中、お腹が痛くなり妊娠発覚。

おめでたい話だが…悪阻が酷すぎて…この時の記憶は曖昧。

私の方が自営業どころか家事も出来なくなり、相方の実家にお世話になる。

その時、相方はそこそこ必死に就職活動をしていた気がする。

ただ自営の能力も無いのに、やたらと管理職とかマネージャー的な高給の仕事ばかりを選び、ことごとく落ちていた。

その後、私の調子が少し良い時にアパートに戻り相変わらず就職活動をしていたのだが、その頃から被害妄想とか意味不明な言動や行動が目立ってくる。

どうしようもなくなり私の実家に泊まったのだが、夜中に裸足でコンビニ行ったり、その辺で服脱いだりしながら帰宅する頃には完全におかしくなっていて、その後警察に呼ばれたり、保健所の人達が訪問に来たりして。その間にどんどん悪化し、裸で暴れ出し私と私の母が暴力を振るわれた為警察に通報。

そのまま入院するも案外2週間くらいで退院になり、注射も通院もするという方向で療養していたのだが…またもや気紛れで仕事の面接を受けて来てしまう。

しかも受かってしまった。

子供も産まれるし、就職も決まり良かった良かったと、喜びたい気持ちと大丈夫なのだろうか?という複雑な気持ち。

すぐにクビになっても、元々なかった仕事だし、どうって事ないと思ってたけど

案の定、会社の全員と上手くやって行くことが出来ず、仕事も出来ないので3ヶ月の試用期間でクビ。

3ヶ月も使ってもらえたことが逆に奇跡というか、社長が優しい人だったのか?本当にご迷惑おかけしましたと言いたい。

クビになる前後1ヶ月間、私は切迫早産で入院していたのですが、その間毎日の様に面会に来ては会社のグチを大声で怒鳴る様に話したり、私にキレたり、テーブルを叩いたり、お願いしたものを持ってこなかったり、お願いしてないものを持って来たり、覚えているのは体の心配を全くしてもらえなかった事。

何とか退院して自宅に帰るも…相方の暴言や嫌がらせ行為に耐えかねて実家に里帰りと言う名目で避難させてもらう。

実家には毎日の様に来ていたが、途中から来なくなる。来なくなった原因がいかがわしい有料サイトで若い女の子と話をする為だと知ったのは出産後間も無くのことである。

里帰り中は1度フライングで夜中に病院に行った時も散々文句を言われ、誘発分娩の時も同室してくれたのは良かったけれど大声で騒ぐ騒ぐ。

立ち会い出産希望で同室で頑張ってたのに分娩中に部屋からいなくなる始末。

ありがとうとだけは言ってくれたが、翌日からまたもや嫌がらせ面会が続き、看護師さんからもマークされてしまい、赤ちゃんと無事退院するも、その後2週間で警察入院コース。

理由は毎日の様に大音量でヘビメタをかけ大声で歌ったり騒いだり怒鳴ったり、ギターを弾いたり、有料サイトにお金をつぎ込んだり、ものを投げたり、暴言を吐きまくったり、罵倒したり、脅したり、私と赤ちゃんに向かって木製の重たい椅子を思いっきり投げつけて来たりと壮絶。

薬物の離脱症状だけでこんな風になるかな?と疑問になる。

この人はこういう人なのかもしれないとも思う。

実際の光景を目にした家族だから余計にワガママ病に見えてしまう。

相方の事がどうでもよくなった。

子供と自分の身を守る事だけで今は精一杯だ。

私だって、そこまで余裕のある状況ではない。

むしろ今は余裕のない産褥期である。

今回も警察様。病院様である。

統合失調症でも完治してる人達が一定数いる。ここ最近は増えていると思う。他の精神疾患だって完治する率が増えている様に思う。行き過ぎた精神医療を批判する精神科医がいるくらいだから。

相方も本当に減断薬したいのなら、成功している人達を見習ってもらいたい。やっぱりある程度病気や薬に対する知識。離脱症状に対する知識。自己反省の念なんかも無いと無理だと思う。現状に満足する気持ちや周りに感謝する気持ちもないとダメだし。何に対しても感謝出来ない。満足出来ない。全部周りのせい。そんな人が薬を抜くのは到底無理だと思った。お金が何億円あっても無理なものは無理でしょうね。

 

 

相方が精神科サバイバーになれないっぽいので、ブログのタイトルも変更しようか考え中…。

出逢い・結婚

出逢い・結婚編

 

私達夫婦は精神障害者の当事者支援活動や当事者支援サークルなどを一緒に取り組むうちに徐々に意気投合し、最終的にお互いの両親やら主治医や福祉関係者など周りの方達大勢に祝福されて同棲・結婚に至りました。

 

この頃の私は、体調不良や色々な情報を機に始めた減断薬や禁煙に成功しつつも、それらの禁断症状(離脱症状)と闘っている最中で…

彼の方はと言うと、月一の注射と朝昼晩寝る前のたくさんの飲み薬のおかげで、なんでも言う事を聞いてくれる様な超優しい人(今考えると薬で何も考えられなくなっていただけ)って感じで…

はっきり言うと…2人とも冷静な判断が出来ない状態での同棲・結婚って感じでして…もう勢いのみ。勢いって凄い笑

 

実際、彼の両親も私の両親も主治医も福祉関係者も、みんな心配はしてました。「お金は大丈夫なの?同棲してから結婚したら?あなた達が決めた事だから。両親の承諾は得ているの?旦那さんの方が確りしてそうだしね。薬だけは続けてね。薬は絶対やめちゃダメです。」

色々な心配を勢いで押し切って、なんとか結婚をしたと言う方が事実かも知れません。もちろん最終的にはみんな祝福してくれました…というか祝福せざるを得ない感じだったのかな?笑

 

そんなこんなで同棲・結婚を果たした訳ですが…私は断薬と禁煙の離脱症状と闘いながら、食材や調味料など体に入れるものを徹底的に吟味したり、運動したり温泉に行ったり、内海聡先生の本をよ読み漁ったり、オルタナティブ活動について調べたり、アロマキャンドル音楽療法、ツボ押しや骨盤体操、断薬.com閲覧、断薬動画視聴、相方と会話する等でなんとか不快な身体症状や精神症状を緩和させ、どうにかこうにかやっていたのだけれど…ものすごい努力をして薬を抜いているのでストレスも溜まりやすく、当事者支援活動や当事者支援サークルなどにも疑問を持ち始めた頃で…でも急にサヨウナラ〜じゃ流石に大人気ないと思い、徐々にフェードアウトしよう…とか考えていた。彼も当事者支援活動には嫌気がさしていて、当事者支援サークルに関しても私から色々言われるものだから思い起こすと結構な心理的負担になっていたのかも知れない。

それと、この頃から相方も私の影響を受けてか?内海氏の本を読んでか?薬を減らす様になる。勿論壮絶な離脱症状

 

そんな中、当事者支援活動の一環で出張した先で福祉関係者と大喧嘩をしてきてしまうと言う大事件を起こす。今考えると無理な減断薬で寝不足が続き激しい離脱症状に見舞われて、喧嘩と言うよりは一方的にキレてしまい取り返しがつかなくなっただけかな?とか思います。真相はわからない笑

 

で出張から帰ってきても躁状態又は統合失調症っぽい症状が続き、自ら福祉関係者を呼びカクカクシカジカあったが自らの意思で病院に行き、主治医に「薬物を使わない任意入院でお願いします」と言って入院する。しかし!そこの主治医「薬物を使わない代わりに電気痙攣療法を5回だけやってみるので承諾してほしい」と言い、私に保護入院と電気痙攣療法の承諾のサインをさせた。ズルイ。そしてヒドイ。結局、薬物を使いまくってヘロヘロにし、電気痙攣療法も10回やって、私が約束と違うし退院させたいと申し出ても保護入院だから〜と退院も面会も電話もダメ。入院して3週間も経つのに本人の状況も一切教えてくれず。行きているのかすら解らない状況。完全に相方の主治医に対する信頼を失う。同時に病院に対する信頼も。福祉関係者に対する信頼も。ただ安否だけを祈る毎日。

色々なところに相談の電話もしたなぁ。で4週間目に相方からの留守電を聞いて…ヘロヘロになってはいるけど生きている!と歓喜の涙を流したのを今でも忘れません笑

 

と今日のところはこの辺で。

 

次回はこの続きを思い出しながら書きます。それではお休みなさい。

 

精神医療を信じて大量の薬を飲んでいた暗黒時代

精神医療を疑うことなく精神科病院の門を叩いてしまった10数年前の私。

今にして思えば仕方のない話。

病気になったら病院に行くのが当たり前と思っていた訳だし、私の症状はうつ病の症状であると家庭の医学にも書いてあった。

社会の常識や家庭の医学を疑えない人が精神医療を、疑えますか?無理ですよね笑

精神薬で死にかけて精神薬や精神医療を完全に断ち切った真のサバイバーか?余程頭の良い人じゃないと精神医療や一般常識を疑う事は難しいと思います。

壮絶な経験をしていても気がつかないまま精神科の過剰な精神薬強制投与や電気ショック等で亡くなる方は大勢いらっしゃると思います。

私の周りはサバイバー的な人が多かったけど、夫は若くして亡くなった人達を何人も見てきています。

私達夫婦は薬漬けの暗黒時代、通っていた病院と疾患名と年数に違いはあるものの医師や医療従事者の言う事を素直に聞いてしまう優等生だった為、医療福祉関係者からは重宝がられ精神医療の関係者や患者達と交流を図る機会は非常に多かった事を思い出します。おかげさまで精神医療福祉に関して言えば、知らないことの方が少ないくらい色々と知る事が出来ました。はっきり言って…命がけで手に入れた知的財産のひとつです。

病院の種類としては、精神科病院でもサービス業として割り切った営業をされているところや、うちはバックに国などがついてんじゃい!と偉そうに役人づらしているところと様々だし、疾患名についてもお医者様がその場で最新の病名を作ったり毎年増えるので数え切れないし覚え切れないし覚えなくていいと思うけど、夫は中でも1番名誉のありそうな統合失調症の称号を20年も維持していたので周りにも同じ様な人達が集まり、その結果として亡くなる人が多かったのだと思います。

亡くなる原因は自殺か入院治療中の原因不明の死です。原因不明な訳ないけど笑

怖いですが、現実です。

世の中から排除されたり不運が重なり辿り着く。

無理をしたり一般常識を疑えず辿り着く。 

誰でも辿り着く事が可能な精神医療の世界。

私の話が信じられないなら、試しに精神科病院を受診して家庭の医学に書いてある様な症状を訴えてみてください。

すぐに診断がついて精神薬が処方されるはずです。

演技力で診断名や処方箋は変わるかも知れないけど、結局は診断名も処方箋も精神科医のその日の気分かポリシーによるもので科学的根拠はないのです。

演技をすれば、いつでも誤診して薬や診断書くれるなんて…転売目的で薬が欲しい人や年金不正受給したい人にとっては 美味しい話で、精神科最高!となる訳ですが…

冗談はさておき、大切な家族や子供をすぐに精神科病院に連れて行き無理矢理薬漬けにしたり無理矢理入院させたりして殺す様な行為は絶対にやめましょう。

私の様に自ら行くのは自己責任だし別に止めませんけど、一旦あっちの世界に行くとなかなか普通の世界には戻ってこられなくなりますのでご注意を。

 

 

もっと詳しく精神医療や精神薬について知りたい人の為にリンクを貼っておきます。

全国オルタナティブ協議会ホームページ

 http://alternativejapan.org/

全国オルタナティブ協議会発起人ブログ

八咫烏(やたがらす)メンタルヘルスの罠

http://ameblo.jp/sting-n/

精神医療被害連絡会ホームページ

http://seishiniryohigai.web.fc2.com/

 精神医療被害連絡会ホームページFC2

http://seishiniryohigai.web.fc2.com/seishiniryo/

内海聡医師による断薬セミナー

https://m.youtube.com/watch?v=BrTgOFvVtcQ

新春第一弾 「精神科は今日もやりたい放題」著者 内海聡先生講演会

https://m.youtube.com/watch?v=tn7kB_prfw0

私達夫婦が精神病と診断される迄の道のり

夫は都会のプチ富裕層の家庭で一人っ子として、私は田舎の中流家庭の長女として、そんなに不自由なく、いやそこそこ甘やかされて?育ちました。

夫は幼稚園を中退したものの小中学校時代は成績も優秀でスポーツも万能で学級委員とかもやったり見た目も良いから女の子にもモテたり、一部男子生徒や教師からは煙たがられていたらしいけど、それなりの学童期だったらしい。

私は母が専業主婦だったので近くに保育園はあったけど通えず、1人で遊んだり弟と喧嘩したりしながら過ごし、小中学校時代の成績は普通、クラブ活動や部活動も文化系や運動系をそれなりに、委員会もそれなりで、モテる事はなかったけど同性の友達は途切れる事なく、同級生や教師からも嫌われたりせず、本当にかもなく不可もない感じ。

そう考えると高校くらいから少しずつおかしくなっていったのかな?

夫は電車に乗るのが嫌でスクーター通学可の高校へ行くも、その年からスクーター通学廃止になり電車通学を余儀なくされ、最初は真面目に通っていたけどスポーツ万能過ぎて先輩から虐められ、そのうち学校とは反対の電車に乗りお弁当だけ食べて帰る生活に。

そんなんだから日本の行きたい大学は全滅。浪人中も勉強に本気になれず、親に言われるままに語学留学。

語学を学んだだけで嫌になり帰国してしまう。

バブル時代だったから都会ではそれなりに仕事はあったものの、どこにも馴染めず職を転々とする。

バブル時代でどこにいってもお金はそこそこ稼げたから、ギャンブルとか女遊びに精を出す。もちろん酒や煙草も。

だけど優しいところもあって、ロクでもない年上女性と結婚。その後スポーツの最中に怪我をして入院。

なにやら入院した時大量のモルヒネを投与されたらしい。

その後、被害妄想や幻覚などが出て次々と問題を起こし、問題を起こすたびに警察を呼ばれ、そのまま精神科に連れていかれ強制入院。

そこで薬漬けになり離婚。

田舎に引っ越した親に呼ばれ田舎に移住するも、些細な事で親に騙され精神科病院に強制入院させられ、結局薬漬けにされる。

そんな事が繰り返されてくうちに、精神障害者である事を認めるようになり、年金を受給しデイケアに自ら通ったり、当事者支援をしてみたり、障害者として仕事をしたりする様になった。

そこで私と出逢う事になる。

だいぶ端折ったけど本人から聞いた大まかな概要はざっとそんなところだ。

一方、私の方は、受験に失敗して地方の高校に電車通学するのが嫌で、ランクを1つも2つも下げた自転車でもなんとか通える距離の高校にスポーツ推薦で入る事になる。

勉強も友達もそれなりだったけど、内分泌系疾患にかかりスポーツ推薦だったのに部活動も体育も出来なくなってくる。

内科に行くも病気を見落とされ治療を受けられず、親からは怠け者扱いをされ時に起き上がれない背中を背後から思い切り蹴られることも。

学校も遅刻がちになり、勉強もどんどん頭に入らなくなって、毎日早退。

友達や先生は心配してくれたけど、何をどうして良いかわからなくなり自殺を考える。

自殺を思い留まり、高校を辞めて好きな事をしようと考える。

好きな事をするにもお金がかかる事を知る。

その後は色々あって書ききれないけど、なんとか仕事を見つけ、結婚も出産も育児も家事も仕事もしながら、高卒の資格を取るための勉強も他の資格を取るための勉強も読書もゲームも当時の旦那の世話も、嫌な義理両親との付き合いも、ろくでもない親兄弟の心配も、当時の旦那が作ったギャンブルによる借金の返済も、全部完璧にしないといけないと思って真面目に頑張った。

睡眠時間を削り、ろくなものも食べず、タバコばかり吸って、具合が悪くなったら病院に駆け込み、あらゆる薬や点滴をしてもらいながら。

そのうち気分が塞ぎがちになり涙ばかり溢れるようになってくる。

その時すでに内科で肩凝りの薬として軽い精神安定剤睡眠導入剤は出されていたが、この時はまだ自分がうつ病とは考えていなかった。

本屋で強迫性障害の本を見て、自分は強迫性障害だとは思っていたけど、うつ病とは思っていなかった。

はっきり言ってこの時はまだ統合失調症とか不安障害とか言う言葉すら知らなかった。

精神病とは無関係だった。

ただ、たまたま家にあった家庭の医学に目を通すとうつ病の症状と自分のその時の症状が一致するものだから、自分はもしかしたらうつ病なのかもしれない、だとしたら早く精神科に行って診てもらい、薬を飲むなりして一刻も早く治さなければと強迫的に考えるようになる。

人は心身ともに余裕がなくなると、何も考えられないバカになり正しい判断が出来なくなってしまうらしい。

自分の体の事を第一に考えて、やる事を減らしたり食事を見直したり、周りの事を考えない様にしたり、軽い気晴らしをしたりしていたら精神科に行かなくても良かったかもしれない。

でもそれをアドバイスしてくれる様な知識と余裕と優しさを持ち合わせた人は私の周りには1人もいませんでした。

あの時は精神科しか頼るところが無かったのです。

そこで結婚生活が原因の抑鬱ですと診断され、別居し離婚。

大量の精神薬と点滴の毎日。

入退院を繰り返しデイケアに入り浸る。途中問題を起こし、他の病院に転院するも服薬はやめられず、定期的に入退院を繰り返す。

資格を取ったり、仕事をしたりするも色んな病気(精神科に行けば躁鬱、鬱、全般性不安障害、社会性不安障害、自律神経失調症パニック障害強迫性障害むずむず脚症候群、耳鼻科に行けば鼻炎、突発性難聴、蝸牛型メニール病、内科に行けば内分泌の異常、産婦人科に行けば更年期障害、月経困難症、外科に行けばティーチェ病など以下省略)が邪魔をしてうまく行かない。

今考えると、ただ単に精神薬を飲んで無理をしていたに過ぎない。

あの時の私に会って耳打ちしてあげたい。体を大切にと。

ただ、これが無かったら今の夫と出逢う事も結婚する事も無かったので、諸々の経験とあれだけの精神薬を飲んであれだけの無理をしてきたにも関わらず生きてこれた事、生きてる事、生かされてる事に感謝しないといけないと思ってます。

 

そんで話はずれたけど、転院した病院のデイケアで当事者支援活動的な事をしまくっている時に、あるサークルで今の夫と出逢い後に結婚する事となる