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病的な現代社会を鋭く評論していきます

精神医療を信じて大量の薬を飲んでいた暗黒時代

精神医療を疑うことなく精神科病院の門を叩いてしまった10数年前の私。

今にして思えば仕方のない話。

病気になったら病院に行くのが当たり前と思っていた訳だし、私の症状はうつ病の症状であると家庭の医学にも書いてあった。

社会の常識や家庭の医学を疑えない人が精神医療を、疑えますか?無理ですよね笑

精神薬で死にかけて精神薬や精神医療を完全に断ち切った真のサバイバーか?余程頭の良い人じゃないと精神医療や一般常識を疑う事は難しいと思います。

壮絶な経験をしていても気がつかないまま精神科の過剰な精神薬強制投与や電気ショック等で亡くなる方は大勢いらっしゃると思います。

私の周りはサバイバー的な人が多かったけど、夫は若くして亡くなった人達を何人も見てきています。

私達夫婦は薬漬けの暗黒時代、通っていた病院と疾患名と年数に違いはあるものの医師や医療従事者の言う事を素直に聞いてしまう優等生だった為、医療福祉関係者からは重宝がられ精神医療の関係者や患者達と交流を図る機会は非常に多かった事を思い出します。おかげさまで精神医療福祉に関して言えば、知らないことの方が少ないくらい色々と知る事が出来ました。はっきり言って…命がけで手に入れた知的財産のひとつです。

病院の種類としては、精神科病院でもサービス業として割り切った営業をされているところや、うちはバックに国などがついてんじゃい!と偉そうに役人づらしているところと様々だし、疾患名についてもお医者様がその場で最新の病名を作ったり毎年増えるので数え切れないし覚え切れないし覚えなくていいと思うけど、夫は中でも1番名誉のありそうな統合失調症の称号を20年も維持していたので周りにも同じ様な人達が集まり、その結果として亡くなる人が多かったのだと思います。

亡くなる原因は自殺か入院治療中の原因不明の死です。原因不明な訳ないけど笑

怖いですが、現実です。

世の中から排除されたり不運が重なり辿り着く。

無理をしたり一般常識を疑えず辿り着く。 

誰でも辿り着く事が可能な精神医療の世界。

私の話が信じられないなら、試しに精神科病院を受診して家庭の医学に書いてある様な症状を訴えてみてください。

すぐに診断がついて精神薬が処方されるはずです。

演技力で診断名や処方箋は変わるかも知れないけど、結局は診断名も処方箋も精神科医のその日の気分かポリシーによるもので科学的根拠はないのです。

演技をすれば、いつでも誤診して薬や診断書くれるなんて…転売目的で薬が欲しい人や年金不正受給したい人にとっては 美味しい話で、精神科最高!となる訳ですが…

冗談はさておき、大切な家族や子供をすぐに精神科病院に連れて行き無理矢理薬漬けにしたり無理矢理入院させたりして殺す様な行為は絶対にやめましょう。

私の様に自ら行くのは自己責任だし別に止めませんけど、一旦あっちの世界に行くとなかなか普通の世界には戻ってこられなくなりますのでご注意を。

 

 

もっと詳しく精神医療や精神薬について知りたい人の為にリンクを貼っておきます。

全国オルタナティブ協議会ホームページ

 http://alternativejapan.org/

全国オルタナティブ協議会発起人ブログ

八咫烏(やたがらす)メンタルヘルスの罠

http://ameblo.jp/sting-n/

精神医療被害連絡会ホームページ

http://seishiniryohigai.web.fc2.com/

 精神医療被害連絡会ホームページFC2

http://seishiniryohigai.web.fc2.com/seishiniryo/

内海聡医師による断薬セミナー

https://m.youtube.com/watch?v=BrTgOFvVtcQ

新春第一弾 「精神科は今日もやりたい放題」著者 内海聡先生講演会

https://m.youtube.com/watch?v=tn7kB_prfw0

私達夫婦が精神病と診断される迄の道のり

夫は都会のプチ富裕層の家庭で一人っ子として、私は田舎の中流家庭の長女として、そんなに不自由なく、いやそこそこ甘やかされて?育ちました。

夫は幼稚園を中退したものの小中学校時代は成績も優秀でスポーツも万能で学級委員とかもやったり見た目も良いから女の子にもモテたり、一部男子生徒や教師からは煙たがられていたらしいけど、それなりの学童期だったらしい。

私は母が専業主婦だったので近くに保育園はあったけど通えず、1人で遊んだり弟と喧嘩したりしながら過ごし、小中学校時代の成績は普通、クラブ活動や部活動も文化系や運動系をそれなりに、委員会もそれなりで、モテる事はなかったけど同性の友達は途切れる事なく、同級生や教師からも嫌われたりせず、本当にかもなく不可もない感じ。

そう考えると高校くらいから少しずつおかしくなっていったのかな?

夫は電車に乗るのが嫌でスクーター通学可の高校へ行くも、その年からスクーター通学廃止になり電車通学を余儀なくされ、最初は真面目に通っていたけどスポーツ万能過ぎて先輩から虐められ、そのうち学校とは反対の電車に乗りお弁当だけ食べて帰る生活に。

そんなんだから日本の行きたい大学は全滅。浪人中も勉強に本気になれず、親に言われるままに語学留学。

語学を学んだだけで嫌になり帰国してしまう。

バブル時代だったから都会ではそれなりに仕事はあったものの、どこにも馴染めず職を転々とする。

バブル時代でどこにいってもお金はそこそこ稼げたから、ギャンブルとか女遊びに精を出す。もちろん酒や煙草も。

だけど優しいところもあって、ロクでもない年上女性と結婚。その後スポーツの最中に怪我をして入院。

なにやら入院した時大量のモルヒネを投与されたらしい。

その後、被害妄想や幻覚などが出て次々と問題を起こし、問題を起こすたびに警察を呼ばれ、そのまま精神科に連れていかれ強制入院。

そこで薬漬けになり離婚。

田舎に引っ越した親に呼ばれ田舎に移住するも、些細な事で親に騙され精神科病院に強制入院させられ、結局薬漬けにされる。

そんな事が繰り返されてくうちに、精神障害者である事を認めるようになり、年金を受給しデイケアに自ら通ったり、当事者支援をしてみたり、障害者として仕事をしたりする様になった。

そこで私と出逢う事になる。

だいぶ端折ったけど本人から聞いた大まかな概要はざっとそんなところだ。

一方、私の方は、受験に失敗して地方の高校に電車通学するのが嫌で、ランクを1つも2つも下げた自転車でもなんとか通える距離の高校にスポーツ推薦で入る事になる。

勉強も友達もそれなりだったけど、内分泌系疾患にかかりスポーツ推薦だったのに部活動も体育も出来なくなってくる。

内科に行くも病気を見落とされ治療を受けられず、親からは怠け者扱いをされ時に起き上がれない背中を背後から思い切り蹴られることも。

学校も遅刻がちになり、勉強もどんどん頭に入らなくなって、毎日早退。

友達や先生は心配してくれたけど、何をどうして良いかわからなくなり自殺を考える。

自殺を思い留まり、高校を辞めて好きな事をしようと考える。

好きな事をするにもお金がかかる事を知る。

その後は色々あって書ききれないけど、なんとか仕事を見つけ、結婚も出産も育児も家事も仕事もしながら、高卒の資格を取るための勉強も他の資格を取るための勉強も読書もゲームも当時の旦那の世話も、嫌な義理両親との付き合いも、ろくでもない親兄弟の心配も、当時の旦那が作ったギャンブルによる借金の返済も、全部完璧にしないといけないと思って真面目に頑張った。

睡眠時間を削り、ろくなものも食べず、タバコばかり吸って、具合が悪くなったら病院に駆け込み、あらゆる薬や点滴をしてもらいながら。

そのうち気分が塞ぎがちになり涙ばかり溢れるようになってくる。

その時すでに内科で肩凝りの薬として軽い精神安定剤睡眠導入剤は出されていたが、この時はまだ自分がうつ病とは考えていなかった。

本屋で強迫性障害の本を見て、自分は強迫性障害だとは思っていたけど、うつ病とは思っていなかった。

はっきり言ってこの時はまだ統合失調症とか不安障害とか言う言葉すら知らなかった。

精神病とは無関係だった。

ただ、たまたま家にあった家庭の医学に目を通すとうつ病の症状と自分のその時の症状が一致するものだから、自分はもしかしたらうつ病なのかもしれない、だとしたら早く精神科に行って診てもらい、薬を飲むなりして一刻も早く治さなければと強迫的に考えるようになる。

人は心身ともに余裕がなくなると、何も考えられないバカになり正しい判断が出来なくなってしまうらしい。

自分の体の事を第一に考えて、やる事を減らしたり食事を見直したり、周りの事を考えない様にしたり、軽い気晴らしをしたりしていたら精神科に行かなくても良かったかもしれない。

でもそれをアドバイスしてくれる様な知識と余裕と優しさを持ち合わせた人は私の周りには1人もいませんでした。

あの時は精神科しか頼るところが無かったのです。

そこで結婚生活が原因の抑鬱ですと診断され、別居し離婚。

大量の精神薬と点滴の毎日。

入退院を繰り返しデイケアに入り浸る。途中問題を起こし、他の病院に転院するも服薬はやめられず、定期的に入退院を繰り返す。

資格を取ったり、仕事をしたりするも色んな病気(精神科に行けば躁鬱、鬱、全般性不安障害、社会性不安障害、自律神経失調症パニック障害強迫性障害むずむず脚症候群、耳鼻科に行けば鼻炎、突発性難聴、蝸牛型メニール病、内科に行けば内分泌の異常、産婦人科に行けば更年期障害、月経困難症、外科に行けばティーチェ病など以下省略)が邪魔をしてうまく行かない。

今考えると、ただ単に精神薬を飲んで無理をしていたに過ぎない。

あの時の私に会って耳打ちしてあげたい。体を大切にと。

ただ、これが無かったら今の夫と出逢う事も結婚する事も無かったので、諸々の経験とあれだけの精神薬を飲んであれだけの無理をしてきたにも関わらず生きてこれた事、生きてる事、生かされてる事に感謝しないといけないと思ってます。

 

そんで話はずれたけど、転院した病院のデイケアで当事者支援活動的な事をしまくっている時に、あるサークルで今の夫と出逢い後に結婚する事となる

なかなか産まれない

出産予定日を過ぎました。

 

もうそろそろ出てきそうな気配はあるけれど…。なかなか産まれないものですね

 

待望の赤ちゃん誕生の前にブログでも始めてみようかと開設してみた次第です。

 

サバイバー夫婦の日常ブログ(精神科サバイバー夫婦のおもしろ奮闘記)と記しましたが、変わり者夫婦の新婚・育児生活を、徒然なるままに面白おかしく書き綴っていこうかな?と思っています。

 

半分以上はストレス発散の為の愚痴になるかも知れないけれど、そういうの苦手な方はスルーして下さいね笑

 

私達夫婦が統合失調症躁鬱病、不安障害などの精神疾患に至るまでの経緯や、精神科の処方を疑わずに大量の精神薬を飲んで戯れていた暗黒時代の事、精神薬や精神医療と離れるきっかけとなった出来事、減断薬の過程で起きた様々な離脱症状とその乗り越え方など、ちょっぴり真面目に発信したい事も覚えてる範囲で書いていきたいと思ってるのでよかったら読ん下さい。

 

 今回の訳あり里帰りも、かれこれ二週間…現在躁状態の夫から毎日意味不明なマシンガントークをされ、理不尽な事で怒鳴られ、疲れ果てた末に里帰りと言う名目で実家に避難した訳ですが、冷却期間を置く事でパートナーへの愛情の再確認が出来たので、赤ちゃんを無事に産んだらまた夫婦2人で頑張ろうと思います。

 

また気まぐれで更新します!!